福島県

所:南相馬、福島県
ホスト:鈴木様ご家族
期間:三日間;8月18日から8月20日まで
旅行の印象:3.11の被害で不通になったJR常磐線はまだまだ使えない状態なので、東北の海岸の町を訪れるためには車は唯一の手段です。仙台に着いてから、鈴木さんら知り合いの方々と一緒にミニバンで福島の南相馬へ行きました。南相馬市は福島第一原発に近いので、津波の影響も原発事故の影響も受けました。去年以来復興活動がかなり盛んでしたが、仙台から南相馬市の間の旅は、悲しいイメージでいっぱいでした。例えば、仙台の高速道路6号線は3.11における生死の境でした。 津波が宮城県の海岸に来た時、県民は波から高速道路を使って逃れました。今日でも、高速道路から見たら、海岸の方は泥や雑草です。反対側の方は完璧な田んぼや油絵のような阿武隈渓谷でした。震災後、18ヶ月たった今も、このとんでもない景色がありました。

南相馬市:

南相馬市にあった17メートルの防波堤が倒れてしまったので、町の一部は今も水中に沈んでいたり、またがれきだらけだったりしていました。

町のカフェやビジネスホテルにある六角支援隊というNPOが町の復興活動を指導していました。エネルーギのある代表の鈴木さんは南相馬市のあちこちを案内してくれて、地元の方々に紹介してくれました。住民の2人、渡辺さんご夫婦のライフストーリーはとても興味深かったです。大震災前、南相馬市の原町区の農園で稲作をしていました。3.11のとき、山形へ逃げました。何ヶ月かあとで、覚悟を決めて、福島で農作業をしに戻りました。渡辺さん達の地元で農業をやっていた知り合いのうち、50%の方々は放射能の恐れから農業をやめました。渡辺さん達は工夫を凝らして、お米ではなく、お盆にお墓の前でおくトルコキキョウやアスターという花の種類を生産し始めました。特にお盆の時、この二種類の花は不足しがちなので、いいビジネスチャンスでした。それに、放射能の検査を疑う消費者でも、そういうお盆の花は買えます。試行錯誤をしながら、渡辺さん達は新しくて革新的な営業手法を発展させて来ました。

渡辺さんご家族のお話はそのとき伺ったお話の中でもっとも印象に残ったものの一つです。東京に帰ってからもよく思い出したのは南相馬市のひまわり畑のイメージでした。歴史的に、福島のお米農家の方々は連作を避けるために休耕期の時、ひまわりを植えました。ひまわりの油が売れたし、ひまわりやお米を交代で植えたら土壌がゆたかになりました。3.11の直後に、ひまわりは放射線が出ている土からセシウムを吸収することができるという噂が流れました。福島の希望のある方々はひまわりを植えていました。残念ながら、その研究に基づいた情報は正しくなかったので、そういう方々の努力は無駄になってしまいました。それで、ひまわり畑は、ある意味で、放射線問題の複雑性を示す象徴になりました。

 

漢字:

いくつかのライフストーリーを私達に教えてくれた方々の間で共通していたのは、福島県民の3.11についての沈思でした。18ヶ月で、南相馬市も県民の生活も変わりましたが、今の所、重要なのはどうやって新しい章を始めるかという課題です。それでも、会った方々の人生の儚さに関する意識には強い印象を受けました。各地の破壊や再生の記憶からも同じ気持ちが伝わってきました。という訳で、今度の旅の漢字は「儚い」です。

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  1. Pingback: Fukushima Prefecture- 福島県 | 47 Japanese Farms: Japan Through The Eyes of Its Rural Communities – 47日本の農園

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